レイチェル・プラッテン「ファイト・ソング」誕生秘話と歌詞の真実

レイチェル・プラッテン「ファイト・ソング」誕生秘話と歌詞の真実

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華やかなシンデレラストーリーに見える大ヒットの裏には、気の遠くなるような苦闘の歳月がありました。1981年5月20日、米マサチューセッツ州ニュートンに生まれたレイチェル・プラッテンは、名門トリニティ・カレッジで国際関係学を学びながら音楽への情熱を燃やしていました。卒業後、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに拠点を移し、本格的な音楽活動を開始します。

しかし、現実は冷酷でした。薄暗いクラブやバーで深夜までピアノを弾き語り、観客が数人しかいないフロアに向けて歌う日々が10年以上続きます。車に機材を詰め込んで全米を回る自主ツアーを敢行し、インディーズでアルバムを発表するものの、メジャーレーベルからの反応は冷ややかでした。当時の音楽業界では、「20代前半のフレッシュなポップスター」が求められており、30代を迎えた女性シンガーソングライターに対してレコード会社幹部から投げかけられたのは、「君の才能は認めるが、年齢的にビジネスにならない」という無慈悲な宣告でした。

友人や同世代の仲間たちが安定したキャリアを築き、家庭を持っていくなかで、自分だけが先の見えない暗闇に取り残されていく焦燥感。レイチェル・プラッテンの下積み時代は、自己否定と経済的困窮との果てしない戦いでした。特番インタビューや当時の手記において、彼女は「毎晩のようにベッドで涙を流し、もう諦めるべきなのかと自問自答を繰り返していた」と述懐しています。

そんな極限の精神状態のなか、2013年のある日、彼女は「たとえ世界中の誰もが私の歌を聴いてくれなくても、私だけは自分の声を信じ続ける」という誓いを込めて、ピアノに向かい歌詞を書き殴りました。これこそが、後に世界を揺るがす『Fight Song』の原型です。誰かのための応援歌ではなく、自分自身の命綱として紡がれた言葉だったからこそ、そこには嘘偽りのない圧倒的な熱量が宿ることになりました。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。