検索エンジンで「小椋佳 妻 実家」と入力すると、関連語句として「どこ」「お金持ち」「名家」といったワードが浮上します。長年メディアの表舞台にほとんど顔を出さない一般人である佳穂さんに対し、なぜこれほどまでに資産家令嬢説が定着したのでしょうか。報道各社のアーカイブ取材や小椋氏自身の回顧録を精査すると、3つの明確な要因が浮かび上がってきます。
第1の要因は、小椋氏のペンネーム誕生の舞台となった「福島県耶麻郡猪苗代町」との結びつきです。小椋氏(本名:神崎宏)は東京大学法学部在学中、司法試験や国家公務員試験の勉強に専念するため、福島県の山深い集落に長期滞在しました。この地が「小椋(おぐら)」姓の多い旧家集落であったことから、一部のファンの間で「妻の実家が福島の旧家・大地主なのではないか」という混同が生じ、ネット上で独り歩きした経緯があります。
第2の要因は、昭和30〜40年代における「東大卒・日本勧業銀行(のちの第一勧業銀行、現みずほ銀行)幹部候補」という、当時の日本社会における最高峰のステータスです。戦後の厳格な家柄意識が色濃く残る時代、超エリート銀行員と結ばれる女性の生家に対して、世間が「相応の格式ある名家」「裕福な良家の子女」というイメージを抱いたのは自然な流れでした。
第3の要因は、公の場に一切姿を現さない佳穂さんの「徹底したプライバシー保護」です。顔写真や実家の詳細を明かさないミステリアスな姿勢が、かえって大衆の想像力を刺激し、「名家の令嬢ゆえに素性を隠している」という都市伝説的な言説へと昇華していったといえます。