山本さんと長年コンビを組み、戦場を共に歩んできたジャパンプレス代表の佐藤和孝氏は、銃撃直後の凄惨な状況を当時の特番インタビューや手記で生々しく告白しています。
「煙が立ち込める中、後ろを歩いていたはずの美香の姿が見えなくなった。『美香!』と叫びながら探すと、通りに倒れていた。抱き起こしたときにはすでに意識がなく、呼びかけに反応はなかった」
佐藤氏は反体制派の戦闘員とともに、銃弾が飛び交う危険な通りから山本さんを抱え上げ、車で近隣の野戦病院へと急送しました。しかし、医師による懸命な蘇生措置も虚しく、病院に到着した時点で心肺停止が確認され、45歳という若さで帰らぬ人となりました。
戦闘が続くアレッポ市内に遺体を留め置くことはさらなる危険を伴うため、佐藤氏はシリア北部から国境を越え、隣国トルコ南部のキリスへの遺体搬送を決断。現地の協力者を得て国境を通過し、トルコ側のガジアンテップにある病院の霊安室へ安置されました。
日本政府関係者や在トルコ日本大使館の協力を経て、山本さんの棺はイスタンブールへと運ばれました。そして事件から5日後の2012年8月25日午前、民間機によって成田空港へ到着。変わり果てた姿となった山本さんは、深い悲しみに包まれる日本へと「無言の帰国」を果たしたのです。