八尺瓊勾玉の歴史を語る上で、最大のクライマックスといえるのが寿永4年(1185年)の「壇ノ浦の戦い」です。平家一門が追いつめられ、二位の尼(平時子)はわずか8歳の安徳天皇を抱き、「波の下にも都がございます」と言い残して三種の神器とともに壇ノ浦の潮流へと身を投げました。
この悲劇的な入水により、草薙剣の本体は深い関門海峡の底へと沈み、以後二度と引き揚げられることはありませんでした。しかし、八尺瓊勾玉が入った御筥だけは、海面にふわりと浮き上がり、源氏方の武士によって無傷で回収されたのです。幕府の公式記録『吾妻鏡』にも、回収された神宝が厳重に都へ還送された顛末が明確に記されています。
なぜ草薙剣が沈み、八尺瓊勾玉は浮き上がったのか。ここには物理的・構造的な明快な理由が存在します。金属の塊である刀剣に対し、八尺瓊勾玉は厳重に密閉された木箱(御筥)に何重もの織物とともに詰められていました。箱の内部に十分な空気層が存在したため、沈むことなく強い浮力が発生したのです。
この偶然の物理現象は、当時の貴族や武士たちに「神意による奇跡」と受け止められました。武力と覇権を象徴する剣が失われ、徳と霊性を象徴する玉が生き残ったという事実は、その後の朝廷の権威を支える精神的支柱となりました。一度海底に沈みながら現世へと生還したという劇的な歴史が、八尺瓊勾玉の神秘性を決定的なものにしたのです。