悲鳴嶼行冥がなぜ常に哀れむように涙を流し、人を疑うような眼差しを向けていたのか。その根底には、読者の胸を抉る過酷な生い立ちと悲劇的な事件が横たわっています。
幼少期の高熱による失明と寺院での平穏
まず誤解されがちな「盲目の理由」ですが、彼は生まれつきの全盲ではなく、幼少期に高熱を患った後遺症で視力を失ったと公式記録に記されています。目が見えないハンディキャップを背負いながらも、心優しい青年へと成長した悲鳴嶼は、身寄りのない身でありながら寺院で親のない幼い孤児たち(9人の子供)を引き取り、我が子のように慈しみながら共同生活を送っていました。寺の子供たちはお互いを家族と呼び合い、貧しいながらも平和な日々を過ごしていたのです。
獪岳の裏切りと鬼の襲撃
しかし、その平穏はある夜、最悪の形で崩壊します。寺の規則である「夜は鬼除けの藤の花の香炉を焚き、日没後は外へ出ない」という掟を破り、夜遅くまで出歩いていた子供の一人が鬼に遭遇してしまいます。その子供こそが、後に我妻善逸の兄弟子でありながら鬼へ身を落とす獪岳(かいがく)でした。
獪岳は自分が助かるため、あろうことか寺の中に人間が大勢いることを鬼に密告し、藤の花の香炉を消して鬼を寺の中へ引き入れました。侵入した鬼により、寺は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化します。悲鳴嶼は目が見えないながらも「自分の後ろへ隠れろ」と子供たちに必死に叫びましたが、普段から身体が弱く目が見えない悲鳴嶼を子供たちは信じることができず、パニックを起こして夜の山中へ逃げ散り、次々と鬼の爪にかかって命を落としていきました。
沙代の証言「あの人は化け物」の悲劇
唯一、恐怖で動けずに悲鳴嶼の背後に残ったのが、当時4歳だった一番幼い少女・沙代(さよ)でした。悲鳴嶼は「この子だけは絶対に守り抜く」と覚悟を決め、生まれて初めて拳を振るって鬼に立ち向かいました。自身の底知れぬ怪力に目覚めた悲鳴嶼は、素手で鬼の頭部を叩き潰し、朝日が昇って鬼が塵となって消えるまで何時間も殴り続け、沙代の命を死守したのです。
ところが、夜が明けて駆けつけた村人や警官に対し、恐怖で精神錯乱状態に陥っていた沙代は、血まみれの悲鳴嶼を指差してこう叫びました。
「あの人は化け物。みんな、あの人が殺した」
鬼は太陽光で完全に消滅していたため、現場には子供たちの無残な遺体と、血塗れの巨漢である悲鳴嶼だけが残されていました。沙代の言葉を文字通りに受け取った大人たちによって、悲鳴嶼は「子供たちを惨殺した大量殺人犯」として投獄され、死刑宣告を受けてしまいます。処刑直前、鬼殺隊当主の産屋敷耀哉が介入したことで冤罪は晴れ、隊士としてスカウトされたものの、命を懸けて守ったはずの子供から裏切られた心の傷は、彼の精神に深いトラウマを刻みつけました。