当時、多忙な執筆活動の合間を縫って「シルクロードの旅の前哨戦」として台湾を訪れていた向田邦子氏。高雄の古美術や寺院を巡る予定で乗り込んだ103便で、この悲劇に巻き込まれました。
墜落現場となった山中からは、乗客の所持品が広範囲から回収されました。向田氏の遺留品の中には、旅先での情景を書き留めるための愛用の万年筆、手帳、そして購入したばかりの台湾茶の缶や麻の衣類が含まれており、身元確認の手がかりとなりました。
後に妹である向田和子氏らの手記でも語られたように、事故の一報を受けて現地入りした遺族が目にしたのは、のどかな茶畑に散乱する凄惨な残骸と、突然日常を断ち切られた無念の痕跡でした。向田氏が生前に残した「人間の一生の儚さや愛おしさ」を描いた数々の名作と、あまりにも不条理な最期のギャップは、現在も文学ファンや昭和文化を追う人々の胸を締め付け続けています。