日本三大温泉はどこ?別府が入らない真相と草津・有馬・下呂の決定打

日本三大温泉はどこ?別府が入らない真相と草津・有馬・下呂の決定打

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現代の観光客が抱く最大の違和感は、「なぜ、湧出量・源泉数ともに日本一の別府温泉や、徳川家康が愛した名湯・熱海温泉が三大温泉に入っていないのか」という点に集約されます。温泉街の現地取材や観光歴史学の視点から分析すると、そこには明確な3つの構造的要因が存在します。

第1の要因は、選定当時の交通インフラと地理的断絶です。林羅山や万里集九が活動した時代、別府(豊後国)は江戸や京・大坂の権力中枢からあまりに遠隔の地でした。瀬戸内海の航路や陸路の険しさを考慮すると、当時の文化人たちが気軽に「歴遊」して記録に残すことは極めて困難だったのです。別府が今日のように「日本一の温泉都市」として全国に名を轟かせたのは、明治時代以降に別府港が築港され、さらに大正期に油屋熊八らの手によって観光開発と掘削技術の近代化が一気に進んだ結果に過ぎません。

第2の要因は、熱海温泉が持つ「御汲湯(おくみゆ)」という特異な政治的ポジショニングです。熱海は家康が湯治に訪れ、江戸城まで湯樽を運ばせたことで有名ですが、江戸時代においては庶民が広く巡回する大衆的行楽地というよりは、幕府や大名階層の専用保養地という格式が際立っていました。また、林羅山自身の回顧録や行動軌跡において、中山道や東海道を軸とした旅程の中で「草津の圧倒的酸性力」「有馬の古式ゆかしい格式」「下呂の街道沿いの心地よさ」の三者鼎立が文学的構成としてあまりに完璧だったことも影響しています。

第3の要因は、観光社会学で指摘される「先行者利益とパストラベリング(経路依存性)効果」です。江戸時代に出版された数々の「諸国温泉功能鑑(温泉番付)」において、東の大関(当時の最高位)に草津、西の大関に有馬が不動の座を占め続けました。一度刷り込まれた文化的なブランド序列は、後発の近代温泉都市がいかに湧出量や宿泊施設数で凌駕しようとも、歴史的呼称としては覆らなかったのが実態です。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。