永田町・平河町にあった砂防会館近くの「三代ビル」。ここに構えられた田中角栄氏の個人事務所と越山会統括部こそが、昭和政界の実質的な意思決定機関でした。その部屋の主として君臨していたのが佐藤昭子氏です。
彼女の元には、閣僚や官僚幹部、大企業のトップたちが日参し、頭を下げて陳情や人事を願い出ました。当時の越山会は全国に約30万人ともいわれる会員を抱え、新潟3区のみならず全国の選挙を左右する集票マシーンでした。その頂点に立ち、田中角栄氏への面会順や陳情の採否を決める実質的なゲートキーパーこそが佐藤昭子氏だったのです。
官僚の人事権にまで口を挟むことができたその権勢から、彼女はいつしか畏怖を込めて「越山会の女王」と呼ばれるようになりました。角栄氏が「昭子に話を通さなければ何も決まらない」と周囲に語るほど、彼女の権力は絶対的なものとなっていたのです。