表現の規制をめぐる攻防は、決して今に始まったことではない。日本の映画史を振り返れば、常に巨匠たちが国家権力や倫理の壁と戦い続けてきた。その最も象徴的な例が、大島渚監督が手がけた1976年の映画『愛のコリーダ』をめぐる一連の裁判劇だ。
フランスとの合作という形で撮影された同作は、性描写の極限に挑み、そのシナリオ本や写真集の出版を巡って刑法175条違反の罪に問われた。数年に及ぶ法廷闘争の末に無罪判決を勝ち取ったこの裁判は、芸術表現とわいせつの境界線を世に問い直す歴史的転換点となった。今日における配信表現の模索もまた、こうした先人たちの闘いの上に成り立っている。