400万円の元手からスタートした桐谷さんの運用は、折しも訪れた1980年代後半のバブル景気の波に乗り、驚異的なペースで膨張していきました。電電公社(現NTT)の上場に沸く相場で資産は瞬く間に数倍へと跳ね上がり、1989年末のバブル絶頂期には約1億5000万円を突破。さらに2000年代半ばの小泉構造改革バブル期には、保有株の時価総額が3億円に達する栄華を極めました。
しかし、投資の神様は平坦な道を用意していませんでした。桐谷さんが人生最大の暗転を迎えた原因、それは自己資金の何倍もの取引を行う「信用取引」に手を出していたことです。自己資金以上のレバレッジをかけて株を買い建てていた桐谷さんを、未曾有の金融危機が襲いました。2006年のライブドア・ショックを皮切りに相場が暗転し、2008年秋のリーマンショックによって市場は完全に暴落。保有株の株価は半分以下に叩き落とされ、証券会社からは連日、担保不足を埋めるための追証(追加証拠金)の請求が容赦なく届きました。
「朝起きるとまず、どうやって追証のお金を用立てるかで頭がいっぱいになり、胃を締め付けられる思いだった」と、当時の特番インタビューや自著で桐谷さんは述懐しています。手元の現金をすべて証券口座へ注ぎ込み、それでも足りずに将棋連盟の年金受給口座を担保にして資金を用立てるなど、破産寸前の修羅場を経験。最悪の局面では3億円あった資産が約5000万円にまで急落し、手元に残った現金はほぼ底をつくという壊滅的被害を受けました。一時は自死すら脳裏をかすめたほどの極限状態に追い込まれたのです。