輪郭線を引かずに、色彩のグラデーションと刷毛の摺り込みだけで空間と空気、光を表現する――。大観が創出したこの革新的技法は、後に「朦朧体(もうろうたい)」と蔑称された。きっかけは単純にして過酷な師・岡倉天心からの問いかけだった。「空気や光の揺らぎを、線を使わずに描くことはできるか」。
大観は盟友とともに絹本を濡らし、顔料を何度も刷り込んでは乾かし、極限まで絵の具を馴染ませる実験を繰り返した。結果、日本国内の批評家たちからは総攻撃を浴びる。「骨気(こっき)がない」「目がかすむような悪趣味」。容赦ない嘲笑とバッシングに晒され、注文は激減し、困窮の底へと突き落とされた。
しかし、事態は海を渡ったことで一変する。1904年、大観らはニューヨークやボストン、ロンドンへと乗り込み、現地で展覧会を敢行。ターナーの光や印象派の空気表現に触れていた西洋の知識人たちは、東洋の精神性と西洋の光彩理論が奇跡的に融合した画面に息を呑んだ。「東洋の神秘的な大気」「光そのものが呼吸している」。海外での大絶賛と絵画の完売劇という逆輸入の衝撃を経て、ようやく国内の評価は逆転へと舵を切ることになった。