人気・実力ともに絶頂にあった龍虎を襲ったのが、度重なる深刻な負傷でした。特に1970年代初頭に患った右アキレス腱断裂は、当時の医療技術では「力士生命の終わり」を意味する致命傷と目されていました。しかし龍虎は過酷なリハビリに耐え抜き、奇跡的な復活を遂げて幕内復帰を果たします。
しかし、30代半ばを迎えた1977年(昭和52年)5月場所、龍虎は突如として現役引退を発表します。ファンの間では「なぜ親方として後進を指導しないのか」と大きな波紋が広がりました。その決断の背景には、主に2つの決定的な要因が存在していました。
第一に、肉体の限界です。アキレス腱の古傷に加え、激しい稽古の蓄積によって全身の関節が悲鳴を上げており、自らが納得できる相撲が取れなくなっていた点です。手記や関係者への取材でも「中途半端な姿をファンに見せ続けることは耐えられなかった」と語られています。
第二に、日本相撲協会の年寄株(名跡)を巡る構造的課題と、自身の独立心です。当時から名跡の取得には複雑な師弟関係や莫大な資金が必要とされ、組織の慣習に縛られることを嫌った龍虎は、狭き門である年寄襲名に固執しませんでした。伝統的な枠組みに安住するのではなく、自らの知名度とタレント性を信じて外部の世界で勝負するという、極めて先進的な美学がそこにはありました。