歴史情報がネット上で流通する際、センセーショナルな見出しによって事実が歪められるケースは少なくありません。清少納言と紫式部を巡る言説の中で、特に読者が誤解しやすい3つの盲点を整理します。
誤解1:「二人は宮中でライバルとして直接競い合っていた」
前述の通り、これは完全な後世の創作です。二人が同じ空間に並び立ち、帝の前で歌を競い合ったり、火花を散らしたりした事実はありません。清少納言が宮廷を去った数年後に紫式部が入内したため、二人が競ったとすれば、それは「実空間」ではなく「テキスト空間(作品の評判)」においてでした。
誤解2:「清少納言も紫式部の悪口を書き残している」
『紫式部日記』における紫式部の清少納言批判があまりにも有名なため、「清少納言側も『枕草子』で紫式部をやり込めているのではないか」と勘違いされることがあります。しかし、『枕草子』の中に紫式部を指す記述は一切存在しません。そもそも『枕草子』が成立したのは紫式部が世に出る前であるため、清少納言にとって紫式部は「批判する対象」どころか「存在すら認知していない未来の後輩」に過ぎなかったのです。
誤解3:「紫式部は清少納言の才能をまったく認めていなかった」
紫式部の筆鋒は確かに苛烈ですが、文章を緻密に読み解くと、「さばかりさかしだち(あれほど利口ぶって)」と述べており、清少納言が世間から「並外れた才女」として絶賛されていた事実そのものは前提として受け止めています。まったく価値のない相手であれば、宮中日記という公的な記録でわざわざ筆を割いて長文の批評を残す必要はありません。強烈な批判の裏には、「無視できないほど巨大な先行者」に対する強烈な意識と、ある種の畏怖が潜んでいたと見るのが自然です。