日本人の多くは、「タイ人は性格が穏やかだから自然と微笑みの国と呼ばれるようになった」と考えがちです。しかし、この愛称が世界的な共通認識となった背景には、明確な歴史的経緯と国家レベルのマーケティング戦略が存在します。
歴史を遡ると、19世紀から20世紀初頭にかけて東南アジアを訪れた欧米の探検家や外交官の手記に、シャム(現在のタイ)の人々が「常に微笑みを浮かべて外来者を迎えた」という記録が散見されます。近隣のビルマ(現ミャンマー)や仏領インドシナが激しい植民地争奪戦の舞台となるなか、タイは巧みな外交交渉によって東南アジアで唯一、欧米列強の植民地支配を免れました。この対外的な柔軟性と摩擦を回避する対話姿勢が、外来者の目に「抗争を好まない柔和な笑顔の民」として映ったのが最初の由来とされています。
このイメージを決定的な国家的ブランドへと昇華させた立役者が、タイ国政府観光庁(TAT)のプロモーション戦略です。1980年代後半、タイ政府は外貨獲得の柱として観光産業の強化を宣言し、1987年の「ビジット・タイランド・イヤー」を皮切りに「The Land of Smiles(微笑みの国)」を公式キャッチコピーとして全世界に大々的に発信しました。伝統的な民族衣装を身にまとった女性が両手を胸の前で合わせる「ワイ」のポーズとともに、親しみやすさと神秘性を兼ね備えたデスティネーションとして確立されたのです。