1945年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦に踏み切りました。ポツダム宣言受諾が伝えられた8月15日以降も、北緯50度線以南の南樺太への侵攻は止まりませんでした。とりわけ混乱を極めたのが、西海岸の要衝であった真岡町(現在のロシア名・ホルムスク)への強襲です。
真岡郵便電信局事件経緯を辿ると、緊迫の度合いが如実に浮かび上がります。1945年8月20日未明、濃霧に紛れて突如ソ連艦隊が現れ、真岡港への激しい艦砲射撃と上陸作戦が開始されました。住民の多くが就寝中であり、不意を突かれた街は一瞬にして火の海と化しました。
当時、女性職員の引き揚げ(避難)命令はすでに出されていたものの、通信連絡の重要性から交代要員の確保が遅れ、真岡郵便電信局には10代後半から20代前半の若き女性電話交換手たちが泊まり込みで勤務していました。彼女たちは、本土や泊居など近隣地域との連絡を保つため、砲弾が飛び交う中でもプラグを差し替え、通信を繋ぎ続けました。