「くわばらくわばら」の語源として最も広く知られ、歴史的記録とも深く結びついているのが、学問の神様として名高い菅原道真(天神様)の怨霊伝説です。
類まれなる才覚で右大臣にまで登り詰めた道真は、昌泰4年(901年)、左大臣・藤原時平らの策謀によって無実の罪を着せられ、大宰府へと左遷されました。失意のなか延喜3年(903年)にこの世を去った後、平安京には奇怪な変異が続発します。時平をはじめとする政敵が若くして次々と怪死を遂げ、干害や疫病が都を襲いました。
そして決定打となったのが、延長8年(930年)6月に起きた「清涼殿落雷事件」です。貴族たちが雨乞いの協議を行っていた宮殿の清涼殿に巨大な雷が直撃し、朝廷の要人複数名が感電死や火傷で命を落としました。その惨状を目の当たりにした醍醐天皇は精神的な打撃を受け、わずか3カ月後に崩御することとなります。人々は都を焼き尽くす雷を「道真公の怨霊が雷神(火雷天神)となって復讐を果たしに現れた」と恐れ慄きました。
ここで重要なカギを握るのが「桑原」の地名です。当時、現在の京都御所周辺あるいは山城国に存在した道真の私有地は「桑原」と呼ばれていました。怨霊と化した道真公の激しい怒号とともに落ちる稲妻は、宮廷中を焼き払いながらも、自身の愛した邸宅地である桑原の一帯にだけは一発も落雷しなかったと伝えられています。
恐怖に震える都の庶民や貴族たちは、雷鳴が響くたびに「ここはあなたの所領である桑原ですよ、決して落とさないでください」と叫び、雷神にアピールしました。「桑原、桑原!」と連呼する行為は、雷神と化した天神様の怒りの矛先を逸らし、自分の居場所を見逃してもらうための必死のパスワードだったのです。後に朝廷は道真の御霊を鎮めるため北野天満宮を建立し、怨霊は国家の守護神「天満大自在天神」へと昇華されていきました。