京都を代表する名所「哲学の道」は一体なぜ世界中から注目されるのか。その根源を探るには、明治から大正期にかけて日本が直面した近代化のうねりと、東洋と西洋の思想を架橋しようとした哲学者たちの精神史に光を当てる必要があります。
この小道が誕生する契機となったのは、1890年(明治23年)に竣工した琵琶湖疏水事業です。東京遷都によって衰退の危機に瀕していた京都の復興を掲げ、若き技師・田辺朔郎らが指揮を執った大土木工事により、滋賀県大津市から京都へと導水路が引かれました。哲学の道沿いを流れる水流は、その本線から分岐して北へと注ぐ「琵琶湖疏水分線」であり、かつては水車動力や灌漑、東山山麓の庭園用水として重要な役割を担っていました。
水路沿いが「哲学の道」と呼ばれるようになった発端は、京都帝国大学(現・京都大学)の教授であった哲学者・西田幾多郎(1870〜1945年)が、日課の散歩コースとしてこの静かな小径を歩き、主著『善の研究』をはじめとする数々の思索を巡らせていたことに由来します。当初は「思索の小道」「文人の道」などと呼ばれていましたが、西田の愛弟子であった田辺元や三木清ら京都学派の学者たちも好んで歩いたことから、1972年(昭和47年)に地元住民と京都市によって正式に「哲学の道」と命名されました。
道の中ほど、法然院近くの石垣には、西田幾多郎が詠んだ「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」という歌碑がひっそりと佇んでいます。周囲の雑音に惑わされず自らの信念を貫く禅の精神と、西洋哲学の体系を融合させた西田の孤高の歩みが、今も水面のせせらぎと共に息づいています。