細木数子氏の裏社会との接点は、テレビタレントとしてブレイクする遥か以前、昭和30年代から40年代にかけての波乱に満ちた経歴に根ざしています。東京・渋谷の貧しい家庭に生まれた細木氏は、10代半ばから夜の世界に身を投じ、弱冠20歳にして銀座にクラブ「目鏡」をオープンさせました。持ち前の度胸と人心掌握術で政財界の重鎮や興行関係者、そして裏社会の有力者たちを手玉に取り、夜の街で確固たる足場を固めていったのです。
その人脈と剛腕ぶりが世に知れ渡る決定打となったのが、昭和の国民的歌手・島倉千代子氏が抱えた莫大な借金問題への介入でした。1970年代後半、島倉氏は知人の保証人になったことなどを原因に、当時の金額で約16億円とも言われる巨額の借金地獄に陥っていました。芸能界引退の危機に瀕していた島倉氏の後見人として名乗りを上げたのが細木氏でした。
島倉氏の手記や当時の芸能関係者の証言によると、細木氏は複雑怪奇に入り組んでいた債権者たちとの直接交渉に乗り出しました。債権者の中には裏社会の金融業者も多数含まれていましたが、細木氏は自らの人脈と強硬な交渉力、さらには興行権や音源権利の掌握を通じて借金の圧縮と整理を断行しました。結果として島倉氏を救済した形にはなったものの、その強引な手法と裏社会の威光を背景にした立ち回りは、芸能界関係者の間に「細木数子=アンタッチャブルな存在」という畏怖を深く植え付けることになりました。