少年Sの自殺後、捜査の主導権を握ったのが「落としの八兵衛」の異名をとる警視庁捜査一課の伝説的刑事、平塚八兵衛であった。平塚は少年Sの犯行説を一蹴し、成人の単独犯、とりわけ運転手や車の窃盗常習者を標的にした独自の捜査網を展開した。
平塚の徹底したプロファイリングと現場主義は数々の難事件を解決に導いてきたが、三億円事件においてはその頑なな方針が捜査本部内に深い亀裂を生んだ。「少年Sこそがホシ(犯人)だ」と主張する若手捜査員グループと、「少年Sはシロ」と断定する平塚派の対立。結果として、現場に残された遺留品の多くが大量生産品であったことや、証拠品の保存状態の杜撰さも手伝い、捜査は泥沼の迷走を極めていく。