Q1:普仏戦争とドイツフランス戦争、独仏戦争に違いはあるのか?
A1:すべて同一の戦争(1870〜1871年)を指しています。「普仏(ふふつ)戦争」の「普」はプロイセン(普魯西)、「仏」はフランス(仏蘭西)を意味する伝統的な呼称です。しかし実際には、プロイセン単独ではなくバイエルンなど南ドイツ諸邦を含む全ドイツ連合軍として戦ったため、実態に即して近年の教科書や学術書では「プロイセン=フランス戦争」や「ドイツフランス戦争(独仏戦争)」と呼ばれる頻度が高まっています。
Q2:なぜフランス軍は兵器で勝っていたのに敗北したのか?
A2:歩兵用小銃「シャスポー銃」はプロイセンのドライゼ銃を圧倒していましたが、戦争の勝敗を握っていたのは「大砲」と「鉄道組織」でした。プロイセン軍のクルップ社製後装鋼鉄砲はフランスの旧式青銅砲を射程外から粉砕しました。また、参謀本部主導による鉄道ダイヤの緻密な運用により、プロイセンはフランス軍の2倍近い兵力を短期間で前線に展開させ、数的・火力的に常に局地優勢を維持し続けたことが勝因です。
Q3:アルザス・ロレーヌ地方は最終的にどうなったのか?
A3:1871年にドイツ領となった後、第一次世界大戦でのドイツ敗戦(1919年のヴェルサイユ条約)によってフランスへ返還されました。しかし第二次世界大戦においてナチス・ドイツがフランスを電撃戦で占領(1940年)した際に再び事実上併合され、1945年のドイツ敗戦で最終的にフランス領へと復帰しました。アルフォンス・ドーデの名作小説『最後の授業』の舞台としても世界的に知られています。