タマキを語る上で避けて通れないのが、周囲の人間や物と接触した際に不可抗力で服が脱げたり、不自然な密着体勢に陥ったりする「ラッキースケベられ」体質です。初期の読者や視聴者の間では「少年漫画特有のサービス過剰なギャグ描写」と受け止められていました。
ところが、物語が核心に迫るにつれて、この体質には作者・大久保篤氏による緻密な作劇上の意図と世界の構造的真実が隠されていたことが判明します。
作中世界において、異界「アドラ」は人間の集合的無意識や概念、イメージが具現化する場所です。大災害を引き起こそうとする伝導者一派が「絶望」「死」「純粋な破壊」という狂気で世界を塗りつぶそうとする中、タマキが放つ「エロティシズム」や「おかしみ」は、人間が本来持っている生命力、理性では制御できない生命のエネルギーそのものの象徴として機能していました。
その証拠に、白装束の冷酷無比な殲滅兵器であるアサルトとの戦闘において、タマキの体質は最大の威力を発揮します。アサルトはいかなる強敵も瞬殺する血も涙もない殺人マシーンでしたが、タマキの不意の露出とあどけないエロスを前にして鼻血を噴出して卒倒。その後、アサルトは「エッチなものに耐える修行」を過剰なまでに積み重ねますが、修行すればするほどタマキの無垢なエロティシズムの深淵に呑み込まれ、最終的には彼女を聖女のごとく崇めるに至ります。
「殺意と絶望」というシリアスな狂気に対し、タマキは「不条理なエロスと生命の肯定」によって完全に無力化しました。これこそが、彼女が物語の構造上不可欠であった決定的な理由です。