岩手県北上市出身の藤原喜明が新日本プロレスに入門したのは1972年。エリートとは程遠いスタートだった。だが、道場の片隅で黙々と関節を極め続ける男の技術と気迫に、誰よりも早く目を留めたのが団体の象徴であるアントニオ猪木だった。
猪木のボディガード兼スパーリングパートナーを務め、道場破りを人知れず迎え撃つ「門番」。表舞台の華やかさとは対極にある裏舞台の過酷さが、藤原の肉体と精神を研ぎ澄ませていった。伝説の「長州襲撃事件」によって一夜にして全国区のヒールとなったが、その根底にあったのは、猪木イズムの狂気を誰よりも純粋に体現する忠誠心だった。
その後、前田日明らと共に第一次UWF、そして第二次UWFへと合流。ロープに飛ばない、派手な技を使わない、打撃と関節技のリアリズムを突き詰めたUWFのリングにおいて、藤原の重厚なグラウンド技術は異彩を放った。若い世代がスピードとキックで観客を沸かせる中、藤原がじっくりとアキレス腱を絞り上げるたび、会場には息を呑むような緊迫感が満ちていた。