西暦645年(大化元年)6月12日、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)の大極殿において、日本の政治構造を一変させるクーデターが決行されました。いわゆる乙巳の変(いっしのへん)です。三韓(高句麗・百済・新羅)からの調の儀式の最中、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが仕掛けた奇襲により、当代随一の権力者であった蘇我入鹿は斬殺されました。
国家の正史である『日本書紀』の蘇我入鹿の描写によれば、刺客の佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)らに斬りつけられた入鹿は皇極天皇に無実を訴えたものの、中大兄皇子の指図によってその場でとどめを刺され、雨水が溢れる庭へと遺体が投げ出されたと記録されています。しかし、この凄惨な暗殺劇はやがて民衆の間で劇的に脚色され、「斬り落とされた入鹿の首が宙を舞い、自分を裏切った者を追いかけて飛んでいった」という怪異伝説へと変貌を遂げました。
とりわけ有名なのが、首が中臣鎌足を追いかけて激しく飛び回ったという話です。鎌足が夢中で逃げ回り、現在の奈良県明日香村にある飛鳥寺の境内に逃げ込んだところでようやく首が力尽きて落下した、あるいは念仏の力によって首を封じ込めたというストーリーが広く知られています。