廃墟の屋根裏でシュピルマンの命を救った戦場のピアニストのドイツ将校の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト(Wilm Hosenfeld)大尉です。彼は一般的なナチズム信奉者とは一線を画す人物でした。もともと敬虔なカトリック信徒の元小学校教師であり、大戦勃発に伴い召集され、ワルシャワのスポーツ施設管理や捕虜尋問などを担当していました。彼は日記の中でナチス親衛隊(SS)によるユダヤ人虐殺を「人類に対する最大の冒涜」「ドイツ国民に永遠の恥辱をもたらす愚行」と激しく告発しており、シュピルマン以外にも複数のポーランド人やユダヤ人に偽造身分証や仕事を与えて匿い、命を救っていました。
ホーゼンフェルトはシュピルマンに食糧や温かい毛布、軍用コートを提供し続け、ソ連軍がワルシャワを解放する直前の1944年12月まで彼を支え抜きました。しかし、二人が交わした奇跡の絆の先には、あまりにも残酷なホーゼンフェルトのその後が待ち受けていました。
1945年1月にソ連軍の捕虜となったホーゼンフェルトは、激しい尋問と重労働が課されるスターリングラード(現ヴォルゴグラード)近郊の収容所へと送られました。収容所で偶然出会ったポーランド人音楽家に「シュピルマンを助けた」と伝言を託したものの、シュピルマンがその事実を知った1950年当時には、彼の正確な本名や所在を特定することが極めて困難でした。シュピルマンはポーランド当局やソ連高官に必死の助命嘆願を行いましたが、冷戦下のスターリン体制において「ナチス将校」を救出することは不可能であり、ホーゼンフェルトは1952年に無念の獄死を遂げたのです。
その後、シュピルマンの息子アンドレイらの粘り強い働きかけと、ホーゼンフェルト自身の日記や被救出者たちの証言が精査された結果、2008年にイスラエルのホロコースト記念館ヤド・ヴァシェムから「諸国民の中の正義の人(Righteous Among the Nations)」に公式認定されました。大戦中の真の勇気は、半世紀以上の時を経て歴史に刻まれることとなったのです。