Q1:荒木村重が信長を裏切った最大の決定打は何でしたか?
A1:家臣による石山本願寺への兵糧密売疑惑が生じた際、信長による過酷な処罰・粛清を恐れたこと、そして安土城へ釈明に向かう途中で家老や実母から「行けば殺される」と強く止められたことが最大の決定打となりました。
Q2:なぜ黒田官兵衛を殺さずに1年間も幽閉したのですか?
A2:信長との和平交渉が必要になった際の「極めて価値の高い交渉カード(人質)」として生かしておく政治的思惑があったためです。また、かつて親交のあった官兵衛に対する個人的な配慮もあったと推測されています。
Q3:妻子を見捨てて逃げた後、村重はどこへ行ったのですか?
A3:有岡城を脱出した村重は、まず息子が守る尼崎城へ入り、毛利軍の援軍を待って抗戦を続けました。その後、花隈城へ移り、最終的に敗れて毛利氏の領国(尾道など)へ亡命しました。
Q4:息子の岩佐又兵衛はどのようにして生き延びたのですか?
A4:有岡城落城と一族処刑の際、まだ生後間もなかった又兵衛は乳母によって救い出され、京都の西本願寺などに匿われて育ちました。成長後は絵師としての才能を開花させ、江戸初期を代表する巨匠となりました。