この名建築の歴史を紐解くうえで欠かせない人物が、幕末から明治維新にかけて外交の表舞台で暗躍したイギリス人外交官、アーネスト・メイスン・サトウ(Ernest Mason Satow)です。
サトウは1895年(明治28年)に駐日英国公使として再び日本へ着任した際、かつて訪れて深く心を奪われた中禅寺湖畔の南岸に土地を求めました。自著『一外交官の見た明治維新』をはじめとする数々の記録や彼の日記には、母国イギリスの「湖水地方(Lake District)」を彷彿とさせる奥日光の雄大な景観に対する深い愛着が克明に記されています。当時の日記には、湖を渡る冷涼な風や静謐な水面について、「この地こそが激務で疲弊した精神を癒やす最良の避暑地である」といった趣旨の賛美が幾度となく綴られています。
翌1896年(明治29年)、サトウ自身の個人別荘として建てられたこの山荘は、木造2階建て、外壁を日光の伝統的な杉皮で覆うなど、英国風の合理性と日本の伝統的木造工法が巧みに調和した傑作でした。サトウが日本を離れた後、この建物は英国政府に買い取られ、昭和・平成へと至る2008年(平成20年)まで、実に112年間にわたり「英国大使館別荘」として歴代公使・大使やその家族、賓客たちに愛用され続けました。
その後、栃木県へと寄贈された建物は、老朽化が進んでいたものの綿密な解体調査と復元工事が行われ、サトウが過ごした当初の佇まいを忠実に再現。120年の節目となる2016年7月1日、「英国大使館別荘記念公園」として一般公開を迎えました。国際政治の駆け引きから離れた外交官たちが、このテラスでいかに心を解き放ち、日本という国に思索を巡らせていたのか——その歴史的背景を知ることで、目の前に広がる湖面はより一層の深みを帯びて迫ってきます。