惨劇の舞台となったのは、丹沢湖へと注ぐ玄倉川の中州です。1999年8月13日、横浜市廃棄物処理会社に勤務する男性社員、その家族、友人など計21名が現場を訪れ、河原の中州にテントを設営してキャンプを開始しました。しかし、折しも大型の台風16号が本州へ接近しており、現場一帯は断続的な豪雨に見舞われる極めて危険な気象状況でした。
上流に位置する玄倉ダムでは、貯水能力を超える流入量が迫ったため、放流予告のサイレンを鳴らし、管理職員が現場へ巡回に向かいました。記録によると、8月13日午後3時過ぎから翌朝にかけて、ダム職員、警察官、消防団員が複数回にわたって直接中州へ足を運び、水位急上昇の危険性を告げて退避を強く勧告しています。
しかし、一行のリーダー格とされる男性らは「自分たちの勝手だ」「うるせえ、向こうへ行け」などと激高し、警告を完全に無視しました。酒宴を続け中州にとどまり続けた結果、翌14日未明には水流が濁流と化し、中州の周囲を取り囲んで孤立状態に陥ります。午前11時38分、激流に耐え切れなくなったテントごと中州は崩壊。大人8名、子供4名、乳幼児1名を含む13名が濁流に押し流され、尊い命を落としました。