長年、うつろ舟の漂着地とされた「はらやどり浜」は架空の地名であるとされてきました。しかし、歴史地理学の調査や茨城県内の旧家文書の解析によって、漂着地点の地理的特定が決定的な進展を見せています。
江戸時代の水戸藩領および幕府直轄領の海岸線を記録した古地図を検証したところ、現在の茨城県大洗町から鹿嶋市、神栖市にかけて広がる砂浜地帯「舎利浜(しゃりはま)」周辺に、かつて「原舍利(はらしゃり)」と呼ばれる地域が存在していたことが判明しました。海流と季節風のデータを照合すると、千島海流(親潮)と日本海流(黒潮)がぶつかり合う常陸沖は、北太平洋から漂流してきた船が漂着しやすい天然の収束点です。
現在、大洗町や鹿嶋周辺では、うつろ舟を貴重な海洋民俗資料および歴史ミステリーのシンボルとして再評価する動きが定着しています。地域に残る古文書のデジタルアーカイブ化が進んだことで、当時の漁村が残した断片的な記録の統合が進み、「常陸沖で異国船の難破があり、救命艇が漂着した事実」が極めて高い確度で実証されつつあります。