童謡『あの子はだあれ』が世に送り出されたのは、太平洋戦争の開戦年でもある1941年(昭和16年)のことです。フレーベル館が発行していた幼児向け月刊絵本『キンダーブック』の前身誌などに掲載され、その後ラジオ放送を通じて瞬く間に全国へと浸透しました。
本作の作詞作曲を手掛けたのは、昭和の童謡界を牽引した二人の巨匠です。作詞を担当した細川雄太郎は、福島県出身で小学校教員や児童文化活動に尽力した人物であり、子どもの素直な日常や心理を切り取る名手として知られていました。一方、作曲を手掛けた海沼実は、『みかんの花咲く丘』や『里の秋』など、今も日本人の心に残る数々の名曲を生み出した希代のメロディーメーカーです。
海沼実は自ら創設した児童合唱団音羽ゆりかご会を率いてこの楽曲を吹き込み、戦時下の張り詰めた空気の中にあっても、子どもたちの純真な遊びの情景を明るい歌声で家庭へ届けました。暗い時代だからこそ、無邪気に遊ぶ日常の尊さを守りたいという作り手の強い願いが込められていたのです。