ネット上のコミュニティやSNSでは、「童磨は彼なりに信者を救おうとしていた聖人なのではないか」「感情がないだけで悪意はない」という擁護論が散見されます。しかし、この解釈には重大な論理のすり替えが存在します。
童磨の行動原理を精査すると、彼の掲げる「救済」は完全な自己正当化のツールに過ぎないことが分かります。彼が信者を喰らう理由の根本には、以下のような身勝手な論法が存在していました。
- 死の恐怖からの解放:人間はどうせ老いて苦しんで死ぬのだから、若く美しい今のうちに自分が喰べてあげるのが最大の幸福である。
- 同化による永遠の生:自分の肉体の一部として取り込むことで、苦しみのない極楽(童磨の体内)で永遠に生き続けられる。
- 女性の偏食:女性の方が赤ん坊を育てるための栄養を豊富に蓄えているため、男を喰うより遥かに早く強くなれる。
つまり、信者の苦悩に寄り添うふりをしながら、本音では「栄養補給の効率」と「教祖としての体面」を両立させていただけに過ぎません。琴葉が事実を知って拒絶した瞬間に迷わず捕食した事実こそ、彼が他者の尊厳を一顧だにしていない決定的な証拠です。「善意に見える身勝手な加害」という点において、童磨は悪意剥き出しの鬼よりも遥かにタチが悪いといえます。