シャンボール城の謎に迫る!ダヴィンチ螺旋階段と未完巨城の真相

シャンボール城の謎に迫る!ダヴィンチ螺旋階段と未完巨城の真相

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シャンボール城の壮大さを物語るのが、幅156メートル、奥行き117メートル、部屋数426室、暖炉282カ所という途方もない建築スケールです。これほどの規模でありながら、城本来の用途は要塞でも恒久的な王宮でもなく、単なる「狩猟用の離宮」に過ぎませんでした。フランソワ1世とシャンボール城の歴史を紐解くと、そこには若き君主の肥大化した自尊心と国際政治のパワーゲームが色濃く影を落としています。

1519年、フランソワ1世はヨーロッパの覇権を争っていた神聖ローマ皇帝選挙で、ハプスブルク家のカール5世に敗北を喫しました。その直後に着工されたシャンボール城は、ライバルであるカール5世に対して「フランス王家の財力、軍事力、ルネサンス文化の圧倒的な先進性」を誇示するための威信財(トロフィー・アーキテクチャ)としての性格を帯びていたのです。実際、1539年にカール5世が立ち寄った際、その圧倒的なスケールに息を呑んだと記録されています。

では、それほどの熱量を持って建設されたにもかかわらず、シャンボール城が未完の理由とは何だったのでしょうか。最大の要因は、終わりなき対外戦争による財政破綻です。1525年のパヴィアの戦いでフランソワ1世自身が捕虜となり、莫大な身代金の支払いを余儀なくされたことで、建設工事は数年間にわたり完全に停止しました。解放後も資金難と設計変更が繰り返され、城主であるフランソワ1世が1547年に没した時点で、中央主塔と一部の翼棟が完成していたに過ぎません。後継の王たちによって工事は引き継がれたものの、当初描かれていた壮大な回廊計画や運河の拡張は放棄され、未完の巨大記念碑として歴史に刻まれることになりました。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。