「旧宮家」と一口に言っても、そのルーツは室町時代にまで遡る南北朝時代の崇光天皇に辿り着く。江戸時代末期から明治期にかけて独立した宮家が増加したが、現代議論される旧11宮家の直接の共通祖先となるのが伏見宮邦家親王である。
伏見宮邦家親王は多くの男子に恵まれ、その子孫たちが山階宮、久邇宮、北白川宮、梨本宮といった数々の宮家を創設、あるいは継承した。明治以降、これらの皇族は「藩屏」として皇室を支え、軍人や公務において多大な役割を果たしてきた歴史がある。
事態が激変したのは1947年10月だ。敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領下、皇室財産の没収や財産税の課税という過酷な経済的打撃により、従来の規模で皇族の生活を維持することは不可能となった。結果として、直宮家(昭和天皇の弟宮である秩父宮、高松宮、三笠宮)を除く11宮家51名が皇籍を離れ、臣籍降下を余儀なくされたのである。