会見直後の激しい世論の反発を受け、中川氏は帰国後の2009年2月17日に中川昭一 財務大臣 辞任理由となった辞任表明を行いました。予算関連法案の衆院通過を待って正式に辞任し、同年に実施された第45回衆議院議員総選挙に出馬したものの、逆風の中で落選を喫することになります。
そして同年10月4日、東京都世田谷区の自宅で急逝しているのが発見されました。中川昭一 死因 経緯については、警察の行政解剖の結果、事件性はなく病死(急性心不全など)と発表されています。政治生命の暗転からわずか8か月後のあまりに早すぎる死(享年56)は、多くの支持者に深い悲しみを与えました。
没後、中川昭一 評価 ネットの反応は大きく変化しています。特に注目されたのが、G7において国際通貨基金(IMF)に対して行った最大1,000億ドル(当時のレートで約10兆円)の資金拠出協定です。当時のIMF専務理事ドミニク・ストロス=カーン氏が「人類の歴史上最大の貢献」と称賛したこの決断は、新興国救済と日本の国際的プレゼンス向上に決定的な役割を果たしました。
中川昭一 経歴と功績を振り返ると、農林水産大臣や経済産業大臣を歴任し、資源外交や安全保障問題において極めて先見性の高い政策を推進していた政治家でした。現在では、メディアの過剰報道のあり方や、卓越した政策通を失ったことに対する惜別の声がSNS等でも広く共有されています。