阿部寛のキャリアの原点は、中央大学理工学部電気工学科に在籍していた学生時代に遡ります。姉の勧めで優勝賞品の車目当てに応募した集英社の「第3回ノンノボーイフレンド大賞」で見事優勝を果たし、モデルの世界へと足を踏み入れました。1986年に創刊された男性ファッション誌『MEN'S NON-NO(メンズノンノ)』では、記念すべき創刊号の表紙を単独で飾るという鮮烈なデビューを記録しています。
当時のメンズノンノ表紙写真やアーカイブグラビアを確認すると、引き締まったフェイスラインに憂いを帯びた瞳、抜群の小顔と完璧な等身バランスが際立ちます。彫りの深さはありながらも、現在見られる野性味あふれる無骨さとは異なり、ヨーロッパの貴公子を思わせる透明感と端正な気品が同居していました。同誌において阿部寛は、創刊から約3年半にわたり43号連続で表紙を飾り続けるという前人未到の記録を樹立し、「ギネスブック」にも申請されたほどの社会現象を巻き起こしました。
当時のストリートファッションや渋カジブームの黎明期において、阿部寛の着用したミリタリージャケットやセットアップスーツは即座に完売するなど、まさに昭和末期のメンズファッションを牽引する絶対的なアイコンでした。理系大学で学びながらトップモデルとして君臨するという知的なバックボーンも手伝い、女性ファンのみならず、同世代の男性読者からも憧れの対象として絶大な支持を集めていたのです。