1980年代の芸能界を語る上で外せないのが、日本中を騒然とさせたスターたちの電撃再婚です。泥沼の愛憎関係や電撃発表の裏で一体何が起きていたのか、当時のワイドショーを過熱させた世論と当事者たちの知られざる真相に迫ります。
その筆頭が、稀代のスーパースター・沢田研二と実力派女優・田中裕子の結婚劇でした。1975年にザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚し、一男をもうけていた沢田ですが、1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』での共演を機に田中との関係が噂されるようになります。報道陣の執拗な追跡に対し、田中が放った「私からは何も言えません」という沈黙の会見は、かえってメディアの追及を激化させました。最終的に沢田は1987年1月に約18億1800万円とも報じられる前代未聞の財産分与・慰謝料を支払って離婚を成立させ、1989年11月、出雲大社にて田中と再婚しました。世間からは猛烈な略奪愛批判が巻き起こり、神前挙式の周囲には数百人の報道陣と野次馬が殺到する異様な熱気に包まれました。
時を同じくして日本中を驚かせたのが、演歌界の頂点に君臨する森進一の動向でした。1980年にトップ女優の大原麗子と結婚したものの、すれ違いの生活が続き1984年に破綻。「家庭に男が二人いた」という大原の象徴的な告白とともに離婚が成立したわずか2年後の1986年10月、森進一は国民的人気歌手の森昌子と電撃再婚を発表します。森昌子は絶頂期に日本武道館での引退コンサートを行い、完全に芸能界を去って家庭に入る道を選択しました。自立した女優との破綻から、伝統的な「内助の功」を体現するトップアイドルへの急転換は、当時の「男と女の役割論争」を巻き込む一大社会現象へと発展したのです。
さらに、悲劇を乗り越えた電撃婚として列島を揺らしたのが、明石家さんまと大竹しのぶの1988年の再婚劇でした。大竹は1987年に前夫であるTBSディレクターの服部晴治氏をがんで亡くしており、死別からわずか1年あまりでの再婚発表でした。ドラマ『男女7人夏物語』での息の合った掛け合いが現実となった瞬間であり、記者会見でさんまが見せたユーモアと大竹の屈託のない笑顔は、それまでの「再婚=後ろめたいもの」という昭和の暗いイメージを鮮やかに覆す転換点となりました。