ネット上の掲示板やレビューサイトを調査すると、「立派な天守閣を期待していったら櫓しかなかった」「写真で見ていたイメージと違ってがっかりした」といった率直な書き込みが定期的に散見されます。一部の観光系まとめサイトでは、これが過剰に誇張され、あたかも観光地としての魅力に欠けるかのような論調で語られることも少なくありません。
しかし、この「天守が存在しない」という事実は、上田城が持つ歴史的本質そのものです。上田城は1583年(天正11年)、真田昌幸によって千曲川の分流を外堀とし、崖端の自然要塞を利用して築城されました。関ヶ原の戦い後に徳川軍によって徹底的に破却された後、江戸時代初期に仙石忠政が再建に着手した際も、天守は当初から設計されず、堅固な「櫓」と土塁、水堀によって防御を固める実戦重視の縄張りが敷かれました。
現在残る本丸東虎口櫓門を挟む北櫓・南櫓(昭和期に移築復元)、そして江戸初期の姿を留め県宝に指定されている「西櫓」は、権威を誇示するための豪壮な天守とは一線を画す、無駄を削ぎ落とした軍事要塞としての凄みを放っています。天守閣という視覚的シンボルを求める観光客と、実戦的な土豪・城郭遺構としての本質との間に生じる認識ギャップこそが、「がっかり」というネットの反応を生み出す根本原因と言えます。