大川小学校が位置していた宮城県石巻市釜谷地区は、雄大な北上川の河口付近に位置する。校庭のすぐ先には高い堤防がそびえ、川面の様子を直接うかがい知ることはできない構造になっていた。
学校側が最終的な避難先に定めたのは、北上川にかかる新北上大橋のたもと、通称「三角地帯」と呼ばれる交差点付近の広場だった。しかし、この場所の標高は校庭とほぼ変わらない約6〜7メートルに過ぎず、北上川の堤防よりも低い位置にあった。教員や住民は「橋のたもとなら高くなっているはずだ」と誤認していたとされる。
海から押し寄せた津波は、北上川の川筋を猛烈な勢いで逆流してきた。三角地帯へ向かって移動していた列は、川の堤防を乗り越えてきた濁流と、海側から松林をなぎ倒して押し寄せた本流の挟み撃ちに遭う形となった。安全な高台である裏山に背を向け、自ら水の通り道へと歩みを進めてしまった悲劇。形式的なマニュアルに従い、現場の地形特性と津波の物理的な脅威を結びつけて想像できなかったことが、決定打となった。