この意匠を凝らしたつくばいを龍安寺へ寄進した人物として伝わるのが、水戸藩第2代藩主の徳川光圀(水戸光圀)です。天下の副将軍として知られる光圀公が、なぜ京都の禅寺にこれほど意味深な手水鉢を贈ったのか、その背景には当時の学問と思想の結びつきがありました。
光圀は『大日本史』の編纂に情熱を注いだ大事業家であり、儒教だけでなく仏教や禅の教えにも極めて深い理解を示していました。当時の龍安寺の住職や臨済宗妙心寺派の高僧らと精神的な交流を重ねる中で、茶道を愛した光圀が、禅の真髄を日常の茶の湯の精神に落とし込むために考案・寄進したとされています。
為政者として権力と富の頂点に近かった光圀だからこそ、人間が権力欲や物欲に溺れる危うさを誰よりも熟知していました。自らを戒め、また茶室を訪れる茶人や僧侶たちに初心を思い出させるためのモニュメントとして、この「吾唯足知」の蹲踞を形にしたと考えられています。