安田グループの現在とは?みずほ・オノヨーコへと繋がる驚きの真相を徹底解説

安田グループの現在とは?みずほ・オノヨーコへと繋がる驚きの真相を徹底解説

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安田財閥の歴史を紐解く上で欠かせないのが、富山藩の貧しい足軽の家に生まれながら一代で金融帝国を築き上げた安田善次郎(1838〜1921年)の存在です。20歳で単身江戸へ出た善次郎は、鰹節店や玩具屋での奉公を経て、27歳で両替商「安田商店」を開業しました。幕末から明治維新にかけての通貨混乱期において、太政官札(紙幣)の価値を見極めて莫大な富を蓄積したことが、すべての跳躍台となりました。

三菱の岩崎弥太郎や三井の大番頭・益田孝らと善次郎が決定的に異なっていたのは、「製造業・重化学工業への深入りを避け、徹底して金融・保険・不動産に特化した」という経営哲学です。善次郎は1887年(明治20年)に安田保善社(現・安田不動産)を設立して財閥の司令塔に据えると、銀行業の拡大に加えて北海道の釧路硫黄山や釧路鉄道、函館倉庫の運営へと進出しました。火薬原料として需要が急騰した硫黄の輸出事業は巨額の利益を生み、これが安田銀行(後のみずほ銀行の母体)を中心とする金融ネットワークを盤石にする原資となったのです。

善次郎の手記や当時の関係者証言によると、彼は「勤倹貯蓄」を徹底した質素倹約の権化であり、私生活では贅沢を一切好まない人物でした。東京大学のシンボルである「安田講堂」は善次郎の巨額寄付によって建設されたものですが、彼自身は「名声のために寄付をするのではない」として、生前は自らの名前を冠することすら拒絶し、匿名での寄付を貫いていました。しかし、その徹底した合理性と富の集中は一部の過激思想家の標的となり、1921年(大正10年)9月、神奈川県大磯の別邸にて凶刃に倒れ、83歳で激動の生涯を閉じることとなりました。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。