戊辰戦争において会津藩とともに最後まで徹底抗戦を貫いた斎藤一は、明治維新後に名を「藤田五郎」と改めました。会津藩主・松平容保の仲介により会津藩士の娘・高木時尾と結婚し、明治政府の警察官(警視庁)として採用されます。
明治10年(1877年)、西郷隆盛らが挙兵した日本最後の内戦「西南戦争」が勃発すると、斎藤は警視隊の一員として従軍。西郷軍の猛烈な示現流の太刀筋に対抗するため編成された「警視庁抜刀隊」に加わり、田原坂の戦いなどの激戦地で奮戦しました。
戦場での斎藤は、弾雨の中を進撃して敵の砲台を奪取し、重傷を負いながらも部隊を指揮し続けたと公式記録に記されています。この抜群の武功により、明治政府から勲七等青色桐葉章と金百円を授与されました。旧幕府軍の残党でありながら、卓越した実力と胆力によって新政府組織の中でも確固たる信頼を勝ち得たのです。