歴史の表層だけをなぞるネット上の言説において、大石神社に関してしばしば見受けられる誤解があります。代表的なものが「仇討ちの怨念が残る場所ではないか」「他者を呪うような参拝をする場所ではないか」という極端な言説です。
しかし、神道における義士合祀の理念や当時の資料を精査すれば、それは完全な誤りであることが分かります。四十七士の行動の本質は「復讐」そのものではなく、武士道における「信義」と「主家への忠節」の貫徹でした。内蔵助は吉良邸討ち入り後、速やかに幕府へ自首し、法に従って切腹を受け入れています。私怨を晴らして逃亡したのではなく、筋を通すために命を捧げたプロセスこそが称賛された理由です。
したがって、大石神社で祈願すべきは「他人の不幸やライバルの失脚」ではありません。「他者の妨害に惑わされず、自らの信念を成し遂げる自己統制の力」を祈念することこそが、神社の由緒に合致した正しい参拝態度です。悪意を持った願掛けは神意に反するというのが、現地の神職が共通して説く姿勢でもあります。