1992年10月13日午前2時すぎ、静岡県伊東市の伊東港岸壁で発生した水没事故は、日本の演劇界に計り知れない打撃を与えました。当時、太地喜和子は文学座の全国巡演舞台『唐人お吉火を吐くお吉』の伊東公演を終えたばかりでした。
静岡県警の捜査資料および当時の報道記録によると、舞台終了後に劇団員らと伊東市内の飲食店で飲食を共にした後、演出助手ら同僚男性2人と共に乗用車に乗車。車が岸壁の先端付近に停車した際、運転手がバックギアと前進ギアを入れ間違えてアクセルを踏み込んだため、車体は暗闇の海中へと転落しました。
前席に乗っていた男性2人は開いていた窓やドアから必死に脱出し、奇跡的に生還を果たしました。しかし、後部座席に座っていた太地喜和子は車外に出ることができず、引き上げられた車内から発見されたものの、搬送先の病院で溺死(水死)が確認されました。
なぜ彼女だけが脱出できなかったのか。その決定的な要因として、以下の3点が現場検証や関係者の証言から明らかになっています。
- 極度のカナヅチ(水恐怖症):太地喜和子は生前、水に顔をつけることすら恐れるほどの重度のカナヅチであることを公言しており、漆黒の海中に投げ出されたことで極度のパニックに陥ったこと。
- 後部座席の脱出困難性:セダン型乗用車の後部座席は前席に比べて開口部が狭く、水圧でドアが開かない状態下で暗夜の車内から脱出経路を見出すことが極めて困難であったこと。
- 深夜の急激な水没:伊東港の岸壁水深は約5〜6メートルあり、重量のある車体は数分も経たずに海底へと沈没したこと。
一部の週刊誌やネット上で囁かれた「自殺説」や「他殺・陰謀説」は、警察の綿密な実況見分および同乗者の証言、アルコール濃度の鑑定結果により、完全な過失事故として正式に否定されています。舞台に対する凄まじい情熱を抱き、翌日以降の公演にも強い意欲を見せていた最中の、あまりにも不慮で痛ましい事故でした。