『月の砂漠』歌詞の意味と隠された真相|王子と王女の正体と死別の哀歌

『月の砂漠』歌詞の意味と隠された真相|王子と王女の正体と死別の哀歌

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読者が最も知りたい「月の砂漠 王子と王女の正体」とは誰なのか。この点について、加藤まさを研究者や文学史家の間では複数の有力な解釈が提示されています。

第一に、「作者自身の魂の分裂と統合」という解釈です。過酷な病に苦しみ、画家としての未来を奪われかけた男性(まさを)が、自分自身を先頭を行く「王子」に投影し、その傷ついた魂を癒やし寄り添ってくれる理想の聖処女として「王女」を創り出したという見立てです。過酷な療養生活の中で、孤独に押しつぶされそうになった心が産み落とした、もう一人の自分だったと言えます。

第二に、御宿で療養中に淡い交流のあった「薄幸の少女」への追憶説です。御宿の郷土史料によると、当時、同じように結核や虚弱体質で療養に来ていた良家の令嬢たちの姿を、まさをは見つめていました。儚げな少女たちの中には、病状が悪化して静かに故郷へ送り返され、短い生涯を閉じた者も少なくありませんでした。そうした「理不尽に奪われていく若い命」への鎮魂歌(レクイエム)として、砂漠の彼方へと昇天していく二人の姿が描かれたとする説です。

そして迎える結末の真相。四番の歌詞で、二人はどこかの国に到着するわけでもなく、ただ「幾山越えて」去っていきます。これは心中という陰惨な行為ではなく、「現世の苦しみ、病魔の痛み、世俗のしがらみをすべて脱ぎ捨て、誰にも邪魔されない清らかな世界へと昇華していった」と読むのが最も自然な文学的解釈です。死を恐れるあまり、死を「美しい永遠の旅」へと塗り替えることで、若き日のまさをは自らの精神の崩壊を防いでいたのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。