沢田研二の1980年の大ヒット曲『TOKIO』を語る上で、視覚的インパクトの象徴となったのが「原色のパラシュート」と「明滅する電飾スーツ」です。ブラウン管越しに軽やかに舞っているように見えたジュリーですが、その裏側には過酷な物理的負荷と高度な職人技術が隠されていました。
背負っていたパラシュートは、広げると横幅約12m、高さ約7m、奥行き約6mという巨大な空間を占有する特注仕様でした。リュック型の背負い具とハーネスだけでも5kg前後の重量があり、さらに展開時にスタジオ内の巨大送風機から受ける風圧は凄まじく、体感重量は数十キロにも達したと関係者は証言しています。足腰の強靭な沢田研二でなければ、生放送のステージで体幹を保ちながら完璧なピッチで歌い切ることは不可能でした。
一方、インナーのジャンプスーツに施された電飾システムは、当時の最先端技術を結集したものでした。無数の小型電球(豆電球)を手作業でスーツ裏に配線し、腰回りに小型バッテリーと点滅リレー装置を内蔵。現在のような軽量・低発熱のLEDは存在しなかったため、「点灯し続けると強烈な熱を発し、低温火傷や感電のリスクと常に隣り合わせだった」という過酷な仕組みです。衣装全体の製作費は、パラシュートの縫製や特殊な電飾ギミックを含め、当時の物価で推定300万〜500万円以上(現在の貨幣価値換算で1,000万円規模)が投じられたとされています。