坂東玉三郎の家族観や独立独歩の姿勢を理解するうえで欠かせないのが、波乱に満ちた生い立ちと歌舞伎界入りを果たした経緯です。
彼は1950年、料亭を営む一般家庭の五男として東京に生まれました。本名は守田伸一(旧姓・楡井)。歌舞伎の御曹司として生まれたわけではありません。さらに幼少期には小児麻痺(ポリオ)を患い、右半身の自由が利きにくくなるという重い試練に見舞われました。そのリハビリと身体機能回復のために勧められたのが日本舞踊の手ほどきであり、これが彼の運命を劇的に変える契機となります。
才能を見出した舞踊の師匠の縁から、歌舞伎の名門・大和屋の当主であった十四代目守田勘弥の目に留まり、部屋子として入門。その後、その非凡な才能とひたむきな精進が認められ、十四代目守田勘弥の芸養子(のちに正式な養子)として大和屋の系譜に入りました。歌舞伎界の家系図において、名門の血筋を持たない門外漢の少年が養子として迎え入れられ、看板役者へと駆け上がる道は想像を絶する重圧の連続でした。血統という後ろ盾がないからこそ、芸の実力だけで道を切り拓いてきた生い立ちが、誰にも依存しない自立した生き方の根底にあるのです。