なぜ宮崎駿監督は、この決定的なセリフを他でもない銭形警部に語らせたのでしょうか。その真意を解読する鍵は、登場人物たちの「関係性の配置」と「映画的カタルシス」の構築にあります。
第一に、この言葉はルパン三世という男の去り際の美学を完璧に成立させるための装置でした。ルパン本人が「俺はお前の心を盗んだぜ」などと口にすれば、それはただの気取ったプレイボーイの戯言に成り下がり、作品の品格を著しく損ないます。同時に、まだ世間知らずで純真無垢な少女であるクラリス自身も、自分がルパンに抱いた感情が「初恋」であり「かけがえのない思慕」であるという本質に、自分一人では明確な言葉を見出せていませんでした。
そこで必要となったのが、中立でありながら誰よりもルパンの本質を知る「第三者」の存在です。長年ルパンを追い続け、その悪辣さも人間的魅力も骨の髄まで知り尽くしている銭形警部が発言することによって、この恋情は「公認の事実」へと昇華されます。泥棒を憎み、法を執行するはずの警察官が、敵であるルパンの行為を「見事な盗み」として認め、讃えるという鮮やかな逆転劇が、観客の感情を一気に高揚させるのです。
第二に、このセリフは取り残されたクラリスに対する最大の「救済」と「自立へのエール」でした。大公家唯一の生き残りとして、閉ざされた城で孤独に育ったクラリスにとって、ルパンとの別れは再び深い孤独へ突き落とされる危険性を孕んでいました。もし銭形の言葉がなければ、彼女は「恩人に捨てられた哀しい少女」として涙を流し続けることになったかもしれません。
しかし銭形は、「お前は何も失っていない。それどころか、人生で最も尊い宝物(人を愛する心)を動かされたのだ」と彼女の感情を全肯定しました。胸に手を当てて「はい!」と答えた瞬間に、クラリスは保護されるだけの無力な存在から、自らの足でこれからの公国を再建していく前向きな一人の大人の女性へと脱皮したのです。