なぜ絶対すれ違わない?会津さざえ堂に隠された二重螺旋の真相を徹底解説

なぜ絶対すれ違わない?会津さざえ堂に隠された二重螺旋の真相を徹底解説

なぜ絶対すれ違わない?会津さざえ堂に隠された二重螺旋の真相を徹底解説について詳しく解説いたします。最新の情報をチェックしてください。

さざえ堂(円通三匝堂)の歴史と由来は、江戸時代後期の寛政8年(1796年)にまで遡ります。会津若松市飯盛山にあった正宗寺の住職・郁堂(いくどう)和尚が考案・建立しました。「三匝堂」の「匝(そう)」には「めぐる」という意味があり、3回ぐるぐると回って参拝することから名付けられています。

当時、江戸の町民や地方の庶民の間では、西国三十三所や坂東三十三箇所などを巡る観音巡礼が大流行していました。しかし、庶民が遠方へ旅に出るには膨大な旅費と時間が必要であり、誰もが気軽に満願成就を果たせるわけではありませんでした。そこで郁堂和尚は、「堂内を右回りに3回巡るだけで、西国三十三観音霊場のすべてを巡礼したのと同じ功徳が得られる」という画期的な参拝空間を創案したのです。

かつてはスロープ沿いに三十三体の観音像が安置されており、参拝者は一方通行で歩きながら次々と手を合わせることができました。多くの人々が押し寄せても、上りと下りが決して衝突せず、滞留を起こさない一方通行システムは、当時の熱狂的な巡礼ブームを背景に生み出された究極の群集制御(クラウドコントロール)建築だったといえます。なお、明治初期の神仏分離令と廃仏毀釈によって正宗寺は廃寺となり観音像は撤去されましたが、堂内には現在、皇族ゆかりの「白虎隊十九士の霊」や「皇朝二十四孝」の額などが掲げられ、堂そのものは大切に保存・継承されています。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。