施設が設立されたのは1976年。当初はオリンピックを目指す本格的なヨットスクールだった。しかし、創設者の指導によって登校拒否児が復学を果たしたという評判が広まるにつれ、施設は急速に性格を変えていく。手に負えない問題を抱えた子どもたちを短期間で叩き直す「駆け込み寺」となったのだ。
だが、その実態は更生とは程遠い暴力の連鎖だった。1979年から1982年にかけて、訓練生に対する暴行致死や傷害致死事件が相次いで表面化する。真冬の海への飛び込みを強要され、低体温症や衰弱に陥った少年たちに対し、さらなる体罰が加えられた。監視の目を盗んで海へ身を投げ、命を絶った者さえいた。
押収された日誌や裁判資料が明かしたのは、科学的根拠を欠いた独善的な支配構造だった。恐怖によって人間の感情と意志を麻痺させ、無条件の服従を強いる手法。それが「教育」の美名のもとに正当化されていたという冷酷な事実が、世間に凄まじい戦慄を走らせた。