高校卒業後、本田選手は名古屋グランパスエイトへ入団し、彼女は地元で幼児教育の道に進み元保育士として勤務していました。遠距離恋愛が続く中、転機となったのは2008年1月のオランダ1部リーグ(当時)・VVVフェンロへの完全移籍です。
言葉も通じず、食生活や文化も全く異なる異国の地で結果を出さなければ即契約解除という厳しいプロの世界において、本田選手は精神的な支柱を求めていました。移籍からわずか半年後の2008年7月、2人は婚姻届を提出し、22歳という若さで結婚を発表しました。
本田選手が下したプロポーズの理由について、当時の会見や自著の記述からは「海外でトップを目指して戦い抜くためには、彼女の存在が不可欠だった」という強い決断が伺えます。保育士としてのキャリアを手放し、20代前半の若さで単身オランダへと渡った妻の覚悟もまた並大抵のものではありませんでした。現地では栄養バランスを徹底した日本食を作り続け、怪我や降格争いという過酷な試練に直面する夫のコンディションを影から支え抜きました。