佐多稲子の文学を語るうえで避けて通れないのが、批評家・窪川鶴次郎との関係です。最初の夫・小西政弘との結婚生活が破綻したのち、佐多は鶴次郎と同棲・再婚を果たします。しかし、この関係は終生彼女に深い葛藤をもたらすことになりました。
その愛憎劇が克明に昇華されたのが、1936年から発表された連載小説『くれない』です。作中では、社会運動に身を投じる夫と、生活の重圧を一身に背負いながら作家として自立しようともがく妻・蕗子の姿が描かれます。
男側の無自覚な甘えや浮気、運動の挫折による苛立ちを妻にぶつける構造――。佐多は夫への愛着を断ち切れない自分自身の弱さを直視しながらも、精神的・経済的に隷属することを拒絶する女性の苦悩を浮き彫りにしました。この赤裸々な人間ドラマは、近代家族におけるジェンダーの不均衡をいち早く暴いた問題作として、現在も高い評価を受けています。